【生き方】妬み、嫉みから解放されると自分の人生が歩める

おこげ
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こんにちは!ASD主婦ブロガーのおこげです。

皆さんは人に嫉妬したことはありますか?

仕事、恋愛、友人関係‥人と関わるととにかく嫉妬はつきものです。私も実は結構嫉妬深い人間だと思ってます。

ある程度の嫉妬は逆に自分を向上させるスパイスにもなるでしょう。アイツよりもっと仕事できるように勉強頑張ろう、あの子じゃなくて私を選んでもらえるように女磨きを頑張ろう。こんな感じで。

だけど嫉妬に囚われてしまうと人からの信用を失ったり、仲間や友人から相手にされなくなってしまうこともあります。最終的には自分の人生を歩めなくなり、虚しい人生を送ることにもつながるでしょう。

私の思う「嫉妬」との向き合い方をエッセイ風に綴っていきます。お時間ある方はお付き合いください。

父の葬儀で

「よかったなあ、旦那が死んで。退職金たっぷり貰えるんやろ?」

父の葬儀に来た地域の方が、母に言った言葉です。

この事を私に話した時母は、「何がええんやろうなあ。お父さん、死んどるんよ。」と静かに私に言いました。

父がここまで嫉妬されたのは、父の職業に関係があります。

父は公務員でした。

公務員、と聞くと皆さんどんなイメージを持たれるでしょうか。いいイメージの方もいらっしゃるでしょうし、そうでない方もいらっしゃるかもしれませんね。でも多くの人が思うのは「普通のお仕事だな」ってイメージではないでしょうか。他の職種と同様、まっとうな仕事のひとつです。

ですが私が生まれ育った地域の人たちの印象は違いました。

「人から取り立てた税金で食ってる公僕」これが地域の人たちの印象でした。

私が生まれ育ったのは小さな町でした。公務員とは難儀な仕事で「景気がいい時は馬鹿にされ、景気が悪い時は妬まれる」そんな仕事です。決して裕福な町ではなかった故郷では、父をはじめとする地方公務員は妬みにさらされることが多かったです。

旅行に行ったとか、いいもん食べたとか、そういう噂がすぐに流れ「人から取った金で贅沢して、いい身分やね」と言われてしまうのでした。

何をやっても妬まれるから、私たち家族はコソコソと隠れるようにして暮らしていました。

あんまりにも居心地が悪かったので、15歳で町から遠く離れた高校を学区外受験して無理やり出てきました。

私は逃げられましたが、父は生涯町の人たちから妬まれる日々を送りました。

かわいそうだと思った

母が葬儀の時にかけられた心無い言葉。これを母から聞いた時、心から呆れました。父と母は夫婦仲も良く、互いを思い合っているおしどり夫婦でした。最愛の夫を亡くした事がいいことでないこと位、誰にでも分かるでしょう。父の死は突然のことで、母は憔悴しきってました。そんな母にさえその人は妬みの感情を表現してきたのです。

嫉妬の感情が骨まで染み込んでんなって思いました。

怒りや呆れもありました。だけどそれ以上に「かわいそうだな」と思いました。

その人はずっと私たち家族が恵まれているという勝手な幻想を抱き、勝手に妬んできたのでしょう。ガラスケースに飾ってあるとても買えそうにない金額の宝石を眺めるように、ずっと幸せに見える私たちの幻想を眺めてイライラしながら30年くらい生きてるのです。

その人の30年って一体なんなんでしょうね。 

私たち家族の生活は、みんなが思ってるほど優雅なものではありませんでした。母は姑に早朝から深夜までタダでこき使われ、子供たちはいじめられ、父は重度のうつ病でした。

私たちを妬んでる人たちはただの幻想に囚われたまま30年の年月を重ねてるのですよ。こんなに虚しいことってありますか。

人の妬みには終わりがない

私、Xを再開してもうじき1ヶ月になるのですが、つくづく思います。人の嫉妬ってキリが無いなって。

自分の持ってないものを持ってるからってその人が幸せとは限らないんです。なのに、持ってるってだけで妬ましくなって相手の粗探しをする人がたくさんいるんだなと感じます。

持ってる人を妬むだけではなく「持たない人」すら妬むのには驚きます。障害年金や障害者割引があるからって障害者を妬む人がいることには驚きました。それらで得られるお金以上のものを失ってるから「障害者」なのです。

私は子どもの頃から妬みの感情にさらされてきたので、自分のことをあまり人に言わないようにしてます。貯金額や、収入、夫の職業など特にお金にまつわることは必要な場面以外では言いません。

そのほかに自分の持つ能力やちょっとした自慢を言うこともあまりしません。自分を小さく人に言うことがもう染みついてしまっています。

そこまで自衛しても、妬む人は妬むんです。本当に果てしないなと思います。

ただ、先にも言った通り、人を妬むと言うことは自分の人生を生きられてないってことだと私は考えます。

妬む人たちは延々と他人の人生に振り回され、他人の人生を軸に生きてるのです。これは本当に不毛で虚しい生き方だと思います。

持ってる人が気に入らないから砂をかけたところで、持ってる人から何ひとつ奪うことは叶わないのです。

知ろうとすることで妬みはなくなる

冒頭でお伝えした通り、私は結構嫉妬深い方だと思っています。人の持ってるものが羨ましいと感じることも少なくはありません。ただ、それを表現することはありません。私は嫉妬の感情を安易に表現することが恥ずかしいことだと知ってます。

妬みの感情を表現することは自分が無知で無教養だと表明するようなものだと思っているのです。

無知は妬みの種です。

恥ずかしい話なのであまり話したくないのですが、以前私は生活保護を受給してる人は「ラクをしてるんじゃないか」と思っていたことがあります。その頃は生活保護に関して無知で「仕事しなくても国からお金が貰える制度があるらしい」くらいの認識でした。働かなくてもお金が貰えるなんて羨ましいと思ったんですね。

その後私は福祉学生になり、生活保護受給者の方を相手とする仕事も経験しました。ここには到底書けないような苦しみを抱えて暮らしてる方ばかりでした。限られた生活費をやりくりしながらそれぞれが抱える苦しみと向き合い、淡々と暮らしてる方が多かった印象です。

そもそも「働かないで暮らせるなんていいな」と言う部分からして無知の極みと言わざるを得ません。働くことで得られるのはお金だけではありません。私たちは働くことによって多くの貴重な経験や仲間との出会い、仕事自体の楽しさややり甲斐も得られています。なのに安易に働かないことを羨ましがっていた過去の私は愚かだったなと思います。

嫉妬とは無知や認知の歪みから起こる現象なのではないかと考えます。他人のことを無闇やたらに妬ましく感じる時は、大体相手のことを知らないままで表向きの印象だけで妬んでることが多いです。そして同じ対象を妬んでる人同士で繋がりだすと厄介です。多数で相手の攻撃など始めることになります。

これは相手を傷つけるだけではなく自分の首を絞める行為です。

何より自分の人生を生きられてないのでひたすら虚しく、何の生産性もない行動と言えるでしょう。人生の無駄遣いです。

私は誰かが「羨ましいな」と思い始めた段階で、妬みに発展しないように羨ましいと感じる相手の属性について調べるようにしています。何の努力もせずにキラキラしてる人は居ません。その人はその人なりに苦しい思いをしてたり何らかの努力をしています。それに気付く事ができたら「私も頑張ろう」と切り替える事ができるのです。

例えばSNSで貯金額が私の倍くらいある人を見かけたとします。羨ましいと思ったら私は30代でこの額を貯蓄するのにどんな努力が必要なのか調べます。結構大変と分かり、私も節約の勉強を始めることにします。

こんな感じです。

「貯金はあるけど不細工」とか「持ってるものが貧乏くさい」とか言い始めたら、それはもう自分の人生を生きてません。妬みの燃料を探すために相手のことを見るのに夢中になってますよね。

1日の時間というのは皆に平等です。

そして人はいつか必ず死にます。遠い未来かもしれないし、明日かもしれません。

父を30年妬んでた町の人も、30年間ひたすら父の人生を見るのにただ夢中になってたんです。残りの人生を思うと私は「かわいそうだな」と思います。

自分にもっと関心を持って、自分にもっと時間を持てたら豊かな人生になるのです。他人なんて見てる暇はありません。

たまには妬み発見ツールになりがちなSNSを閉じて、自分の時間を作ってはみませんか?

それでは今日はここまで!少し重い話もしましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。おこげでした。

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