【就労】発達障害主婦の履歴書

障害者福祉
おこげ
おこげ

こんにちは!発達障害主婦ブロガーのおこげです

このブログを読んでる皆さんは、どんなお仕事されてるのでしょうか。

私も色んな仕事をしてきました。そして今も働いています。

今日は発達障害当事者の私の現在の就労状況についてお話ししていこうと思います!

発達障害が判明するまでは一般就労でした

私が発達障害と判明したのは25歳の時。18歳から25歳に至るまでの7年間は普通の人と同じように普通に働いていました。

ところが全然うまく働けなかったんです。だからこそ私は障害者なんですが。私は様々な理由から職場で馴染めず、ほとんどの職場を半年以内に退職しています。7年間の間に転職した回数は15回。まあ一時期掛け持ちっていう変化球の働き方をしていたのでその分増えてるところもありますが、とんでもない数の仕事をしてきました。

選んだ仕事のほとんどは接客業でした。後先考えずに退職するので貯金も無い私は即日で雇ってくれる職場をテキトーに求人情報誌で探し、雇ってもらったらすぐに働くというのを繰り返していました。大体即日で雇ってくれるのは人手不足の接客業が多かったんです。

耳から情報を得るのが苦手で、人と接することがだいの苦手な私が接客するのですから、ミス連発、苦情の嵐で1ヶ月も働けば職場では針のむしろ状態でした。

それでも接客業を選び続けました。私には「苦手なことは克服しなければならない」という強迫観念めいたものもありました。また、ずっと接客業ばかり選んできたので他の職種に就きにくくなっていたのです。

入院したら働けなくなった

その後またまた色々あって、私は27歳の春から28歳の春までの間の1年間、精神科病院の入退院を繰り返しました。命を守るためやむを得ずの入院でしたが、入院してる間に見事に体力は落ち、一度ハチャメチャになったメンタルが戻るのに時間がかかりました。

28歳の春以降、一応私は3ヶ月を超えるような長期入院はしなくなりました。しかしその後も短期の入退院を繰り返すことになります。入院回数は救急搬送された時を合わせると10回を軽く超えます。

そんな不安定なメンタルではなかなか仕事にありつけませんでした。なんとなく就労移行支援に通ってみては不安定になり衝動的に辞めたりしました。

私の情緒には波があり、元気な時はまるで入院前に戻ったかのように意欲的に活動できるのですが、突然急降下して布団から起き上がれなくなる、といったことも繰り返され、主治医の就労許可も下りたり下りなかったり。

そんな日々が5年半くらい続きました。

2023年秋から就労継続支援A型へ

そんなこんなで2023年春、転居した私は転居先で自分と気の合う主治医と出会いメキメキと体調が良くなってきました。主治医も私の就労には大賛成で「君の治療に仕事は不可欠」とまでおっしゃるのでした。

「じゃあやってやろうじゃん、仕事」ってなり障害者就労を探すのですが、短時間の仕事というのが就労継続支援A型以外ありませんでした。

私は社会福祉士としての好奇心もあり、「A型利用者」というものを一度体験してみるのもいいなという思いもありました。そして近所に良さげなA型があったので通う事を決めました。

今は就労継続支援A型を週3日通っています。

週5日利用を目標に頑張ってた時期があったのですが私の体力的に無理だったので週3日の利用となりました。

仕事内容は主にパーツの検品や仕分けといった細かい仕事やパソコンのデータ入力といった仕事をしています。今まで経験したことのない仕事ばかりやらせていただいてます。

そこで得た大きな気づきが「私は私のままでいいんだ」ということです。

どういうことかと言うと、無理して苦手を克服する必要はなくて、自分の得意な仕事を選んでもいいんだとようやく思えるようになったのです。

私は子どもの頃の経験から「苦手なことは克服しなければならない」「得意なことばかりするのは逃げ」と言う思い込みがとても強くなっていました。学生時代は寝る間も惜しんで苦手教科の勉強を頑張りましたし、大人になってからも苦手な接客業ばかりを選んできました。電話が苦手と気づいたら、電話番を買って出て、2コール以内で電話に出られるように頑張りました。

それらの努力は無駄ではないと思うんです。でも苦手なことって苦手だから頑張っても伸び率低いですよね。頑張ってもせいぜい人並みくらいにしかなれないと思うんです。

もしも苦手を克服するその時間に得意なことに取り組んだら、私はそっちのスペシャリストになってたかもしれません。私は販売業の中では商品管理や品出しといった作業は得意で、やりがいを感じていました。でもあえてしないようにしてました。「得意なことばかりするのは逃げ」だと思っていたから。

今は得意な仕事を自分の特性に合ったペースで取り組むことができて、とても毎日充実しています。ビックリするような大きなミスも今の職場ではしたことがありません。

自分の得意な仕事をしてみんなに喜んでもらえることに最初は本当にビックリしました。得意なことだけしてていいと言うのはなんだかくすぐったいような気持ちでした。

そうしていただいたお給料って、今まで貰ってたお給料と違うんです。なんかというか、光り輝いてるように感じて。あまりの眩しさに私はA型でいただいたお給料が遣えずにいます。

次の目標は得意なことで一般就労

そんな私の次なる目標は自分の得意なことで働いていくことです。

こうしてブロガーになったのも、得意なことを活かして働きたいと思った時に「文章を書く仕事がしたい」と思ったから。

週に3日でもお勤めしたいと思っています。今考えてるのが清掃の仕事。以前少しだけ清掃の仕事をしていたのですがめちゃくちゃ楽しかったんです。体力仕事だからもっと体力つけなきゃなあ。

清掃員ブロガー、清掃員ライターなんてのに、そのうちなってるかもしれません。

発達障害が判明するまで、ずっと苦手にしがみついて生きてきました。それは私が子どもの頃からもつ「普通の人」への渇望です。

苦手な事を克服したら、今の職場で認めてもらえたら、私は今度こそ普通の人になれる気がする。

そういう、切なく苦しい普通の人への渇望から、私は人生マジで詰みかけてました。

そんな私が行き着いたのが「今の私でもいいんだ」と言う気付き。

それは、発達障害とともに生きる覚悟でもあります。ありのままの私が社会に受け入れてもらえる日が来るまで、そんな居場所ができるまで、私のチャレンジは続くのです。

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